1回目は坂本城です。このお城は比叡山焼き討ちの後、監視を目的に織田信長が命じて築かせました。
光秀は本能寺の変で織田信長を討った羽柴秀吉に破れ奔走途中で命を落とし、城主を失った坂本城は娘婿の明智秀満(通称:明智左馬之助)が守るが落城しました。
その後、城は再建されたが本能寺の変から4年後、大津城築城のため取り壊されました。
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2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀の生涯を描く「麒麟(きりん)がくる」に決定しました。
この辺りには明智光秀ゆかりの地が多くあります。そんな場所を数回に分けご案内します。
1回目は坂本城です。このお城は比叡山焼き討ちの後、監視を目的に織田信長が命じて築かせました。
光秀は本能寺の変で織田信長を討った羽柴秀吉に破れ奔走途中で命を落とし、城主を失った坂本城は娘婿の明智秀満(通称:明智左馬之助)が守るが落城しました。
その後、城は再建されたが本能寺の変から4年後、大津城築城のため取り壊されました。
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国道161号沿い、湖側に坂本城址公園があります。公園内には明智光秀の像や鳥羽一郎が歌う「光秀(おとこ)の意地」の歌碑があります。
余談ですが、安土城(あづちじょう)跡近くにある「安土文芸の郷(さと)」には同じく鳥羽一郎の歌、「天下布武(ふぶ)」の歌碑があるそうです。
坂本城本丸は内側に湖の水を引き込む構造だった今でも石垣が湖に沈んでおり、水位が下がったときのみ石垣が現れるそうです。
信長は琵琶湖の水運を利用することを考え、坂本城をはじめ、安土城、長浜城、大溝城を湖に面して築城させました。
光秀は信長に呼ばれると、城に引き込んだ水路を使って船に乗り、安土城へ向かったそうです。
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坂本城址碑から徒歩2分ほどの場所に、明智塚があります。明智秀満が、光秀にお渡しすると言って自害するときに持っていた光秀の愛刀、郷義弘(ごう の よしひろ)作の脇差(わきざし)が埋められていた跡と案内板に記されています。
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*画像提供:ビジターズビューロー
2019年1月25日
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